謎の怪文書。

ipadでつけている日記(5/12)からの引用。

 

12.いい棒バトの基準

個人的な意見だよ。

はっきりいうと、音と演出が重要。

実は、映像は頑張らなくちゃいけないけど、そこまで大事じゃないと思うんだ。

 

ここでいう音は音楽だけでなくSEなんかも含む。

演出はバトルの構成を決めるシナリオや、山場の画面にどう持っていくかを指すよ。

 

 

まず音、なんだけどSEを挿入した棒バトは現在では主流じゃないから割愛するよ。

あ、SEは場面を印象的にするには、すごく効果的だと思うよ。レオ丸さんってひとは現在でもSEを挿入することがあるんだけど、ここぞって時に挿入されるからすごくかっこいいんだよね。

逆にdojoスタイルのなんでもかんでもSE付けるのは、攻撃の質感が伝わるのはいいけど、正直うるさいと思っているから、いい使い方だとは思わないよ。

全然割愛してないじゃないですか。

 

そう、音楽はかなり大事だと思っているよ。これに関してはもうセンスとかしか言えない。

私的には、選曲も作者の個性のひとつだと思っているから、今はあのアーティストや曲が流行っているんだ!っていうのに左右される必要なんて全然なくて、純粋に自分が好きなものを選んでもらえたら、いいんじゃないかなっておもいます。

今の環境は、不特定多数の層からの支持を得る環境から、厳選された少数の層から支持を得る環境にシフトしているようだから、例えば、よねずけんしのピースサインを使ったら伸びるよ!みたいなことはまず起きないから、自分の趣味全開のほうが好感得られるんじゃないかなーっておもいます。

あ、でもカナブーンだけはだめです。減点します。

 

 

演出について、どういうものがいいのかって説明しようと思ったら難しいな。

結局、創作範疇の話は、絶対的な答えはないよっていう結論に落ち着くよ。

とはいえYESとNOの二択に収まらない自分のやり方があるってのが、大切なのかもって思うよ。

メリハリや、変化がある構成や絵作りがあると面白いって傾向がある。

私は結構ね、飽きっぽいから、単調なバトルが続くと、見るのが面倒になっちゃうんだ。

そう、変化があると、なんだかいいかんじ。

構成だと、強弱関係や優勢劣勢、勢力なんかがずっとおなじより、変化があると面白いかも。

チートキャラが無双するみたいなそういう変化が少ない作品でも、なんだか面倒になってきたから本気出すかー。みたいなパワーアップの描写があったりすると、絶望感マシマシでいい雰囲気になるんじゃないかなー。

立体のカットや人物カットインなんかは、画面が平面的な戦いから様変わりするから、うまく使えば、視聴者の心をとらえるフックの機能を果たしてくれると思うよ。

あんまりフックが多すぎると、心をとらえるどころかズタボロにしちゃうけどね。ものは使いようだね。

見てて飽きないような変化をうまくつけていると、面白いバトルになる。多分。

 

 

そして映像はそこまで大事じゃないって言ったのは、前者の二項がいいかんじなら、映像に関しては最低限の条件を満たしていれば、私はいい作品だって感じるからだよ。

で、その最低限の条件を抑えていることが、最後の要だよ。

 

映像の面で満たしていてほしいことは、「わかる」ってことだよ。

バトルの内容をちゃんと伝えられているかってことだね。

一目でわかればいいけど、フレーム送りなら絶対理解できるくらいのわかりやすさがあるといいな。

もう、なにをやっているかわからなかったら、なんかやってんな程度の感想しか抱けないんだ。評価の仕方が、難しくなる。

やっていることをすごく抽象化するのが、テクニックとして成立していて面白い作品もあるにはある。

 

わかりやすくするために、見やすさっていうのは大切なだと思うよ。

そして、見やすさの基準として、丁寧に描く=見やすいっていう図式を成り立たせてはいけないと思っているんだ。

丁寧に描いてて見やすいってのもあれば、表現を省略しているから見やすい、純粋に技術が洗練されていて見やすい、頭の中にある刷り込みを上手く利用しているとか、いろんな作者が、いろんな方法で自分なりの見やすさを生み出している。

そういうのがほんのわずかに感じ取れたら、多分、面白いって感じるんじゃないかな。

 

 

それさえできていれば、魅力的な作品になる!って堂々と語ったけど、時たま起きる、テクニックがすごくてスーパー上手い=神みたいな実力主義的な風潮は、てめーどうやって説明する気なんだ。あ''?

っていうのも、ちゃんと述べます。はい。

 

 

えー…

 

 

暴力は全てを解決します!

最後は、実力という名の暴力で全てをねじ伏せるのです!

はい。

話合いで物事が解決しなかった際に、人間が行う古典的な行為といえば…

それは戦争です。武力行使です。

同じように、上記の要素で心を揺さられなかった人や、さらに満足感を得たいひとを圧倒的な映像で無理やりねじ伏せるってやり方があるんです。(笑)

もうそれでいいんじゃないかな、考えも、また正しいんですよ。

 

(戦争を肯定するわけじゃないよ。棒バトにおいて、圧倒的な実力でねじ伏せることを肯定しているよ。というか現代だと戦争するよりずっと残酷な手段がありそう。)

 

まあ、私的にはあくまで映像の上手い下手は評価の最後の基準にしているので、実力主義的に上手い下手で優劣はついてほしくはないなと思います。

 

実力だけに固執せずに、音と演出、理解できる程度の映像を上手くおさえた上で圧倒的な映像を作れていたら、この人はすごい作者だ!ってなりますね。

とは言ったものの、高い実力を持つひとは、実際に多くの場数をこなしているがゆえに、全ての面において洗練されていることが多いので、実力だけが突出している作者っていうのは、なかなかいない気がしますね。

比例していることが多いってことです。

 

要は…全ての要素が高水準に揃ってあればいい棒バトなんじゃないんじゃないすか。

最強is最強!です!

 

結論

音と演出が良くて、内容が理解できる程度の映像であれば十分にいい棒バトだといえる。

でもやっぱり全部すごいのが最強!最強だ。

 

 

長い余談。

っていうのは私の価値観だから、そこまで真に受ける必要はない。うん。ないよ。

自分の価値観を持つことと、他人と価値観が相違する部分があるってことを認めることは大事、多分。

 

最後は価値観の押し付け合いでドンパチするくらいが、ちょうどいいと思っている。

集団の中でひとつの思想だけが正当化されて、異なる思想を持つものは排他されるような、まさに終わっているなっていう状況に決して陥っていないあたり、今の棒バトの界隈はいたって正常だよ。

 

ひとつの至高的な思想が台頭することを望んでいる作者があまりいないからこそ、意見のぶつかり合いは絶えることないんだろうけど、それって別に悪いことじゃない。

確かに力を持っているひとや思想があっても、それに対してくそくらえって思うひとが一定数いるっていうのは、神がかったパワーバランスだ。

意見が合わないっていうのは、界隈が仲良し集団にならずに、上手く成立している証拠だと思う。

 

というか界隈っていう言い方すんな一緒にすんじゃねーバーカって思うひともいそう。

強い。

血気盛んなのは、いいことだとおもいます。棒人間の暴力を描くひとなんだし。

 

そう、意見が相違したときに使いがちなおまいう理論は使うのは構わない。

でも、相手の意見を封じる盾にはなるけど、切る剣には決してならなくて決着はつかないから、意見をドンパチするときは、乱用はしないほうがいいとは思う。

あまり議論がエスカレートすると人間関係の悪化も起きるから、お前が言うなっていうのは、賢く使ってほしい。

危ないと思ったときに議論を延期する程度の使い方なら便利なんじゃないかな。

 

私は賢く使えない。いちゃもんで使いがち。おまいう理論を光の封札剣にできるマン強い。私は光の封札剣のことをよく知らない。いいカードっていうのは知っている。だって遊戯もそう言っていたもんね。…実際のところどうなのかは知らない。

 

まあ、なんだか荒れた環境に見えるけど、かなり充実している環境だと思うよ。

棒バト界は。

 

結論を言うと、お前の中ではお前の意見が1番正しい!他の意見は参考程度に聞いておけ。耳は塞ぐな。ってことになる。

否定する気はないが聞き入れる気もないってスタンスだ。

かっこよく言うと、白黒なんて付けずに自分の色で勝負しろ!ってことだ。

そういうことが作品を作る上で、個性につながって、他人に真似できない作品を生んでくれるかもしれないと思っているよ。

 

fine

 

って私はいつも最後に描くじゃん。

棒バトの終わりってさ。ENDfinが主流だったんだよ。かっこいいもんね。

でも私はどっちもよくあるがゆえにいやだったから、fineなんだよ。よくファインって言われたよ。元気です。

(本当はぜろまるさんのまたな!に憧れたっていうのはある。)

私の作品のシンボルみたいのところがあるから、fineは復帰後も好んで使っているよ。

こいつ棒バトの〆にファインって書いているよだっせー!って覚えてくれるだけでも、私にとっては恥ずかしながらも、嬉しいんだよな。

こういう自分なりのこだわりが作品をきっと印象的にしてくれるよ。

またねー。